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メルマガバックナンバー

インクルーシブ教育マガジン vol.27

(この内容は2017年6月30日配信「インクルーシブ教育マガジン」のバックナンバーになります。)

あっという間に春が過ぎ去り、梅雨の季節になりました。1学期もあと1ヶ月で終わりですね。
今月もインクルーシブ教育に関する情報をお届けします!

【連載】今日からできるインクルーシブ教育実践

このコーナーでは多様な子どもたち8,000名が通うLITALICOジュニアにおける実践についてご紹介します。
今回も前回に引き続き、多様な子どもたちにとって、その多様性に応える教育を実施していくために「最適なプラン(計画)をつくる」についてお伝えします。

前回は多様な子どもたち一人ひとりに対する「最適なプラン(計画)をつくる」上で、「プランを立てるために、子どもについて知る」ことの大切さについてお伝えしました。

・どんな時に心に火がつくのか。(夢中になる瞬間、嬉しい、楽しいと思う瞬間)
・その子にとって一番学びやすい方法はどんな方法か。
・学習面、行動面、社会性、生活面、などにおける困りごとはあるか。

など。その他にも家庭や学校での様子や本人の困りごとなど、子どもの観察や、本人や保護者との対談を行い、子どもたちについてなるべく詳細に知るためのポイントをお伝えしました。

今回はそんな子どもの情報を踏まえた上で、「どんなプラン(計画)を立てるか」についてお伝えします。

このプラン(計画)とは、子どもたちの今の学校やクラスなど、所属するコミュニティでの困りごとを解決するだけのものではありません。

本人が「自分らしく生きていける力」を育むことで、子どもの一年後、進学後、青年期、就職にも目を向けた、最適な目標設定を指します。

その為に、立てるプランは子どもの行動観察や本人、保護者との対談を通して見聞きした困難さだけでなく、その背景にある「真のニーズ」を把握し、それが反映されたものでなければなりません。

「真のニーズ」とは、訴えや言葉の奥にある「気持ち」や「願い」のことです。

例えば、「授業に全くついていけないようで、ノートに落書きばかり。今の授業についていけるように指導をお願いします。」という保護者からの要望があったとします。
確かに、今すぐに全ての授業についていけるようになるのであれば、それは子どもにとっても保護者にとっても幸せなことかもしれません。

しかし、子どものことを想う気持ちの強さゆえに、保護者の「こうしてほしい」「これができるようになってほしい」という考えが、子どもの「今できる」スキル感から大きく解離していることがあります。

先ほどの保護者の例で言えば、理由を掘り下げて聞いていくと、真のニーズとして「授業についていけずに本人は自信がない様子。わかった・できたって思えるような学習体験をさせてあげたい。自信をもてるようにしてあげたい。」という願いが見えてくるかもしれません。

そうすることで、「まずは算数の文章問題が一人でできて自信が持てるように…」「今のスキル感から見てその為に必要なステップは…」「本人が学びやすい方法は…」など、本人が「自分らしく生きていける力」に紐付いたプランを考えることができます。
もちろん、プランには、保護者の願いだけでなく、「こうしたい」「将来こうなりたい」等、子ども本人の願いも把握し、反映する必要があります。

このように、単に今所属しているコミュニティで見えている困難さを解消するだけでなく、保護者や本人の「真のニーズ」をプランに反映することで、子どもが「自分らしく生きていける力」を身につけ、一年後、進学後、青年期、就職の時点でどのようなスキルを獲得すればいいかの道筋が見えてきます。

いかがでしょうか。保護者や、学級の子どもたち・担当している子どもたちの「真のニーズ」は把握できていますか。
もしすぐに言葉に出てこないのであれば、改めて、保護者や子どもとの日ごろの会話などから、真のニーズについて深掘りをしてみてください。

次回は、「子どもの情報(前回メルマガ内容)」や「真のニーズ」を反映した上での、具体的なプラン(計画)の立て方についてお伝えします。

【連載】インクルーシブ教育を考える

障害者差別解消法が施行されて1年2ヶ月が経ちました。
「合理的配慮」という言葉を聞く機会も増えてきたのではないでしょうか。
今日は改めて「合理的配慮」について書きます。

日本が2014年1月に批准した障害者権利条約には、人間の多様性を尊重すること、排除のない社会のためにインクルーシブ教育システムを構築すること、そして「合理的配慮」をすることなどについて書かれている。

同条約によると、

「合理的配慮」とは、「障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」

と定義されている。(引用:http://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page22_000899.html

障害者差別解消法においては合理的配慮を否定することは差別とみなされることが記載されている。

分かりづらい定義だが、
「こういう工夫があれば、障害のない人と同じように機会が得られるため、この工夫が必要です」と伝えた時、伝えられた側は「無理です!」とただ否定することは「差別」とみなされる。

障害のある方(子どもの場合は保護者も)から意思表明があった時、
・本当にその工夫が双方にとって「合理的」か
・合理的であるのであればどんな場面で必要か、どうやって工夫するか
・どうしてもその工夫ができないのであればその理由は何か、そして代わりにどんな工夫ができそうか

などを関係者で合意形成をはかり、実際に工夫をした後もPDCAを回していくことが必要である。
その一連のプロセスこそが「合理的配慮」といえる。
一連のプロセスを経ないでただ否定することは差別である。

合理的配慮は極めて個別性が高い。
どの場面でどのような工夫が必要か。また、その工夫がどのように実行できるか。
何を「合理的」とするかは、その人の特性や年齢にもよるし、どれだけ環境が整備されているか、資源がどれだけあるかにもよる。

例えば読み書き困難のある子どもが、タブレットを使うことで学びにアクセスできるとする。
ノートが書けないので普段は学校でただ座っているだけ。
その子どもと保護者から
「タブレット使えば授業内容にアクセスできるので、使わせてください!」
と意思表明をしたとする。

その時に
「この子だけ特別扱いできないので無理です。」
は実質差別とみなされる。

例えば「この子にはタブレットを使用した学びは不適切である」のであれば、その理由を本人保護者に伝え合意形成をはかる必要がある。
もしかしたら特定の場面ではそれが「合理的」な配慮となり、特定の場面ではならないかもしれない。
(大体の場合、導入するかしないかの二択で考えがちだが、どの場面で必要かどうかの議論をすることが本質的である)

例えば自分のタブレットをもっていなくて、更に予算もないのであれば、その子が学びへアクセスできるように、別の工夫を共に考えて合意形成し、その工夫を実施した後も継続的にPDCAをまわしていく必要がある。

つまり、教育における合理的配慮は「学びへアクセスするための権利」とも言える。

そのためには、保護者や教員が「合理的配慮」を正しく理解するのみでなく、子ども自身が自分の特性を他者に伝え、いろんなものへアクセスするためには自分にはどんな工夫が必要か、伝えられるようになることも大切である。

「合理的配慮」の原語はreasonable accommodation。
accommodationは、直訳すると「調整」「調和」「和解」といった意味があるが、日本では「配慮」となっていて、その語感から「してあげるもの」と誤解されがち。
(そのためこの記事ではあえて「工夫」としています)

「合理的配慮」は、周りの人が勝手にその人に必要な工夫を決めるのではなく、その人自身が自分に必要な工夫を知って、それを他者に伝える当然の権利を保障するもの。

本当はそれが誰にとっても当然だが、障害のある人にとっては余計に周りの人がその人の自己決定を無視しがちである。だから「合理的配慮」を法的に位置付けている。と私は理解する。

が、そもそも「障害のない」子どもたちの自己決定は教育の中で保障されているのだろうか?

本来はどんな子どもにも「学びへアクセスする権利」がある。

私たちの教育は、本当に全ての子どもの学びへのアクセスを保障しているのだろうか。

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